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ミトロヴィツァ(アルバニア語:)、あるいはコソヴスカ・ミトロヴィツァ(セルビア語:)は、コソボ北部にある町、およびそれを中心とした基礎自治体。ミトロヴィツァ郡にあり、その郡都である。 コソボ紛争が1999年に終結して以降、町は南のアルバニア人と北のセルビア人によって分断されている。町全体では、アルバニア人が多数派となっている。町の北部は、コソボのセルビア人共同体の事実上の首都となっている。 == 呼称と表記 == 町はセルビア語ではコソヴスカ・ミトロヴィツァ(、)と呼ばれ、アルバニア語ではミトロヴィツァあるいはミトロヴィツ(定名詞形:、不定名詞形:)と呼ばれる。ヨシップ・ブロズ・ティトーの死後、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の構成体(6共和国と2自治州)は、それぞれひとつの都市名をティトーにちなんで改称し、ミトロヴィツァはセルビア語でティトヴァ・ミトロヴィツァ()、アルバニア語でミトロヴィツァ・エ・ティトス()となった。社会主義体制が崩壊した後、呼称からティトーの名ははずされ、元に戻された。 ボスニア語での呼称はコソヴスカ・ミトロヴィツァ()、トルコ語での呼称はミトロヴィチャ()である。 日本語においては、コソブスカ・ミトロビツァ、コソフスカ・ミトロヴィツァ、コソフスカ・ミトロビツァ、コソヴスカ・ミトロヴィッツァ、コソブスカ・ミトロビッツァ、コソフスカ・ミトロヴィッツァ、コソフスカ・ミトロビッツァ、あるいはミトロビツァ、ミトロヴィッツァ、ミトロビッツァ等の表記も見られる。 15世紀に初めて文献に記され、聖デメトリウスの教会を中心に発展した町であった。この町の呼称はデメトリウスに由来している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミトロヴィツァ (コソボ)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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